慶応4年(1868)8月8日、角間村(かくまむら)から攻撃する庄内藩(しょうないはん)の軍勢と平鹿郡志摩村に布陣した
久保田藩佐竹南家(さたけみなみけ)
佐竹三郎陣代早川輔四郎(じんだいはやかわすけしろう)などの軍勢が皆瀬川(みなせがわ)を
挟んで激しい合戦(かっせん)をしました。
戦いのあった現在の雄平橋(ゆうへいばし)のたもとの西側一帯は当時渡し船場(ふなば)があったところで、
周囲には樹令百年以上と思われる揚柳(ようりゅう)が一面に生えていたと言われています。
柳(やなぎ)の林の中に高さ1.8m位の塚があり、そこに、大正7年(1918)11月に戊辰戦役50周年記念碑が建(た)てられました。
現在は下角間集落入口の県道13号線脇に移されています。
なお、この戦いで戦場と化した角間村の人々は二井田村(にいだむら)喜藤治川原(きとうじがわら)に避難し、一夜野宿(のじゅく)したと伝えられています。
所在地 秋田県湯沢市角間字中島
