湯沢市弁天地域歴史探訪

普門坊・圓海坊の碑

普門坊
圓海坊の碑
(ふもんぼう
えんかいぼうのひ)

普門坊・圓海坊の碑

普門坊・圓海坊の碑は、 文政12年(1829)5月11日 杉沢山(すぎさわさん)
千手観世音(せんじゅかんぜおん)
境内(けいだい)に建てられました。

大同年中(806-810)に 坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)が 悪徒誅伐のため
下向(げこう)の折、 海人台(あまがだい)(天ヶ台)に 御堂を再建し 慈覚大師(じかくだいし)が 本尊千手観世音菩薩の
開眼供養を営んだと言われ、 御堂は普門密寺と号し 麓に堂塔坊舎が 九院軒(のき)を並べたと 言われています。

普門坊は、御堂再建とともに普門寺に
住職し修行した高僧と思われ、 碑に天長(てんちょう)10年(833) 7月6日死亡と記されています。

天正(てんしょう)15年(1587)
普門寺は小野寺方(おのでらがた)に
加勢したため、 最上軍勢(もがみぐんぜい)に攻められ、 堂塔坊舎(どうとうぼうしゃ)は残らず 焼かれました。

しかし尊像は火を逃れ 谷に転倒し長い間土に 埋もれていましたが、 普門寺に住んでいた圓海坊の夢の お告つげで尊像を
見つけ出すことができました。

慶長11年(1606) 現在の社地に堂宇(どうう)を 建立(こんりゅう)し、 尊像を遷座安置(せんざあんち)して 祈念したところ霊験たちまち 顕われ、以来参詣者(さんけいしゃ)が 絶えることがなかったと言われています。

圓海坊は、碑に元和(げんな)9年1623)
1月2日死亡と記されています。   





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