江戸時代初期からの
船着き場であった
倉内港(くらうちみなと)と、
同様に活況を呈(てい)していた
柳田港(やなぎたみなと)は、
元禄14年(1701)6月の洪水で
大船の発着が
できなくなりました。
この両港に代わって
賑わいを持つようになったのが、
落合港(おちあいみなと)や
京塚船着き場、
皆瀬川(みなせがわ)にある
角間(かくま)船着き場でした。
角間船着き場からは
上角間(かみかくま)や
下角間(しもかくま)、
館角間(たてかくま)及び
二井田の年貢米(ねんぐまい)が
舟積みされると共に、
駒木表として評判が
よかった二井田特産の
イ草で織った畳表も、
遠く秋田方面に
搬送されました。
大正3年刊行の
地形図によりますと、
雄物川流域(おものがわりゅういき)に
64か所の渡舟場が
記録されていて、
蔵宿(くらやど)のあった
下堀(しもほり)の上流の
今泉(いまいずみ)、
左馬(さま)舟場を
さかのぼると
角間舟場があります。
角間舟場は湯沢、植田(うえだ)、
浅舞(あさまい)を結ぶ
路線上の重要な渡し舟場で、
大正15年4月から
5年間の運行記録が残っています。
それによりますと、
当初は秋田県から補助金をもらい
辨天村(べんてんむら)で
運営していましたが、
昭和7年4月からは
植田村との共同経営となっています。
記録の残っている中で
一番利用数が多かったのは
昭和5年6月で、
昼と夜で7,965人となっています。
舟賃は無料でした。
この渡し舟場は、
昭和23年12月に木橋の
『雄平橋(ゆうへいはし)』が
架けられるまで
運行されました。
