湯沢市弁天地域歴史探訪

中村隣徳

中村隣徳
(なかむら りんとく)

中村隣徳

安政6年2月13日生~
大正3年8月死去(1859-1914)

 55歳

佐竹南家(みなみけ)の家老職を 勤めていた中村家に生れ、 維新後の明治8年、
角間(かくま)村で 養蚕(ようさん)を営む
父、中村孟尚(たけなお)の もとに移住しました。

明治13年、二井田村と角間村が連携して
公立小学校の「共和学校」を 設置するにあたり、学務委員として 県に設立願書を提出するなどの 中心的な役割を担い、
設立に大いに寄与しました。

また、明治17年に改正された組合、
戸長役場(こちょうやくば)制度のもとでは、 岩崎町と成沢、二井田、角間の各村で 構成された岩崎町外三ケ村 組合戸長役場の戸長に就任し、 西南戦争後の経済変動や 地租改正費、あるいは教育費などの
村経費が増えて苦しい中、 組合の運営に力を尽くしました。

明治21年4月、 市制・町村制の法律が
公布されてからは新村への合併に向け、
森、杉沢、杉沢新所、 金谷、倉内、柳田、 八幡の各村で構成された 森村外六ケ村組合にも 精力的に働きかけ、 辨天(べんてん)村の誕生に 大きな功績を挙げました。

明治22年、30歳で辨天村初代村長に 就任し、草創期の村政の基礎を 固めるとともに、 杉沢の官山の無償払い下げをし 造林の道を開くなど、 数多くの実績を残しました。

また、父の意を継ぎ 蚕糸業(さんしぎょう)の 発展にも力を注ぎ、 明治22年、湯沢町根小屋町に 創設された 雄勝郡立養蚕伝習所の 現業長に就き、 蚕繭(さんけん)製糸の増産に努め、 明治27年には、雄勝郡長などと 協議して、養蚕伝習所の位置を 根小屋町(ねごやまち)から 水の便のよい金池(かないけ)町(まち)に移し、 郡立雄勝製糸伝習所と改称し、 生糸の生産量を更に高めました。

明治40年10月、雄勝郡会議員選挙に 立候補し当選し、 更に明治44年の雄勝郡会議員選挙でも 再選を果たしています。
郡会議員となってからも 数々の政策を立案し 実績を残しており、 明治43年、雄勝郡長より 銀盃一個を贈り 表彰されました。

物事の理解、判断が鋭く 素早い行動で、教育にも熱心で あったと言われています。    







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