明治6年6月8日生れ~
昭和42年7月28日死去(1873―1967)
94歳
大山幸太郎は、
「人間は何のために生きているのか。
いつでも幸福に暮らすことが
できないものか。
永久的平和というものは
あり得ないか。」という
人生の難問を考え抜いて
その思想体系を作り上げ、
教育者としての実践、
哲学者としての探究、
そして平和思想の構築に
生涯を捧げた人です。
明治6年(1873)倉内村(くらうちむら)の
代々医療と漢学を家業とする
須田家に生まれ、
幼くして二井田村の大山家に
養子入りしました。
幼少期から漢学や数学を独学し、
14歳で秋田県初の
小学校準教員試験に合格。
秋田師範学校を優秀な成績で卒業後、
横堀尋常小学校で訓導を務め、
PTAの先駆けとなる保護者との
話し合いの場を創設するなど、
教育改革に力を尽くしました。
その後、教育行政の改善を志して上京。
明治法律学校で学びながら独学を続け、
巣鴨の東福寺で
新井奥邃(あらいおうすい)と出会い、
その思想に深く感銘を受け
生涯の師とします。
明治39年には高等文官試験に合格し
文部省に入省。
教育制度の改革に取り組む中で
欧州留学を志し、
大正3年に渡欧。
第一次世界大戦下の
スイス・チューリッヒに滞在し、
「世界永久平和に関する思想」を
ドイツ語で著述・出版。
欧州の学者から高い評価を受け、
帰国後に日本語版を出版。
「大山哲学」として
広く知られるようになりました。
帰国後は文部省に報告を提出し、
理想の教育行政を実現するため
研究生活に専念。
大正15年には秋田師範学校専攻科の
哲学講師となり、
「絶対平和主義」に基づく
講義を行いますが、
軍部の圧力により
6年で退任。
教え子たちは後に
「真人学会(しんじんがっかい)」を結成し、
機関誌『真人』を発行するなど
思想を継承しました。
晩年(ばんねん)は下二井田で研究を続け、
昭和29年には新しい哲学体系
「真人学(しんじんがく)概論」を
著述・出版。
さらに文化現象の法則を探る
「文化科学」の構築に取り組み、
死の直前に『文化科学原理』を完成。
昭和42年、「先にゆくよ」と妻に言い残し、
94歳で永眠しました。
