慶応4年8月 生れ~
昭和8年 死去(1868-1933)
65歳
瀬川光行は二井田村の出身で、
湯沢町の英学塾
「麗沢舎(れいたくしゃ)」に
学んだ後、上京。
新聞記者として活躍し、
のちに出版事業を興して
数々の名著を世に送り出した
実業家であり、
東京第一区選出の
衆議院議員として
政界でも活躍しました。
慶応4年8月、
湯沢町吹張(ふっぱり)の酒造業
長沢家に生まれ、
間もなく二井田村の瀬川家に
里子として迎えられ
養育されました。
小学校卒業後、
明治15年に湯沢町田町に
開塾された英学塾「麗沢舎」に入塾。
教師・西河通徹(にしかわつうてつ)の
影響を受けて政治に関心を持ち、
上京します。
明治17年、東京専門学校
(現・早稲田大学)に入学。
明治19年に卒業後、
郵便報知新聞、
読売新聞、改進新聞などで
記者として活躍。
明治24年には、読売新聞記者として
前島密(まえじまひそか)や
榎本武揚(えのもとたけあき)から
スキャンダル打消しの
依頼を受けるなど、
敏腕記者として
知られました。
明治25年、改進新聞入社後に
知り合った黒田さわ子と結婚。
二人で相談し、
「実業家人傑伝」の出版を企画。
翌年には『商海英傑伝』を発行し、
大成功を収めます。
その後も
『日本之名勝』
『日本之勝景・帝国美観』などを
次々と出版し、
印刷出版業は
軌道に乗りました。
明治37年には千駄ヶ谷や駒場に
大工場を建設し、
数百人の職工を
雇用するまでに成長。
出版業の発展とともに
多くの知名人との
交流も深まりました。
大正11年には
東京市議会議員選挙に
立候補して当選。
大正13年には憲政公和会を組織し、
自ら会長となり、
会員は三千人にのぼりました。
大正14年には四谷区(よつやく)の
区会議員に当選。
昭和3年、普通選挙法による
初の総選挙で東京府第1区から
衆議院議員に立候補し、見事当選。
以後、東京府・東京市の多くの
役職を歴任し、政界・財界で
幅広く活躍しました。
昭和8年、65歳で逝去。
地方から中央へと飛躍し、
言論・出版・政治の分野で
功績を残した人物として、
今も語り継がれています。
