
杉沢山千手観世音は、
杉沢山普門寺の千手観音菩薩を
祀る観音堂(かんのんどう)です。
寺伝(てらでん)によると、
和銅(わどう)2年(709)
藤原(ふじわらの)鎌足公の子
淡海公(たんかいこう)は
大紫海人君(だいしあまのきみ)の菩提を
弔うため、僧行基(ぎょうき)に依頼して
33体の観世音木像を
日本国の所々に造立(ぞうりゅう)しました。
杉沢山の菩薩はその内の一体であると言います。
その後、大同2年(807)
坂上田村麻呂将軍が勅命(ちょくめい)を受けて
奥州の悪徒誅罰のため当国に
下向(げこう)した際、
海人臺(あまがだい)に立たせられた観音に
縁があるということで
再建立(さいこんりゅう)しました。
天正(てんしょう)15年(1587)
最上(もがみ)の軍勢(ぐんぜい)が
小野寺氏を討とうと攻めてきたとき、
普門寺の僧や修行者は
小野寺氏に加勢したため、
堂塔は最上勢に焼かれましたが、
尊像は火を逃れ谷に転倒しました。
燃えようとするご本尊を守ったのは
タニシであるとの言伝えがあり、
杉沢では長い間タニシを
食べない時期がありました。
現在も千手観世音のお札にはタニシが描かれ、
火伏のお守りとして配られています。
慶長11年(1607)湯沢城代、
佐竹義種(さたけよしたね)公は
守護安泰のため堂宇(どうう)を
現在の地に再建立して
千手観世音菩薩を安置し、
国家安全、五穀豊熟、丹誠無二の
祈願をされ社領(しゃりょう)を与えています。
明治元年(1868)政府が神仏分離令を発した際、
千手観世音菩薩は普門寺の本尊として
登録されましたが、
お堂は神社風の造りとなっています。
なお、現在の観音堂は、昭和35年(1960)に
再建されたものです。
所在地 秋田県湯沢市杉沢字野々沢山30
